シュタイナ−教育に興味がある?

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ドルナッハ、ゲ−テアヌム周辺

シュタイナー建築と言うと、みな風変わりな建物と思っている方も、いらしゃるかも知れませんね。
ところがシュタイナーが考えていた建物は、その当時にすでに回りの環境から、
そこに住まう人の目的などを考えて、実に自然の一部になるように作られているのです。
かつて、今井兼次氏が1926年にドルナッハを訪れて、日本にゲーテアヌムを紹介しました。
(中央公論美術出版)その時の紀行を上松佑二先生のお計らいで私の友人ノルウエイのDavid Aasen
に託した際、読ませていただいたのですが、私が1982年にドルナッハを初めて訪れた時と、
寂しさというか、本当に小さな村の駅にたった私は驚きました。
その気持ち的なものがちょうど60年後に訪れたのに、似通っていたのです。
私が卒業した1986年当たりから、駅の周りに少しずつ変化が現れ、1990年から
急激に近代化していきました。それにはドルナッハの環境が、緑のとても多いゲーテアヌム
精神科学自由大学を中心にあって、だんだん高級住宅地になっていったからでしょう。
バ−ゼルまで自家用車で12分ぐらい、トラム(市電)で20分、電車で4、5分です。
仕事は小さな都会のバ−ゼル(歴史的な大学街、エラスムス、ニーチェ、ヘルマンヘッセ、
アインシュタイン 等のゆかりの地、世界的に有名なバ−ゼル音楽大学院、スコラカントールム
(古楽専門の大学)等も有り、世界的なメッセ(見本市)、銀行の世界機関、幾つかの
化学薬品会社、20近くある美術館などがある。コンパクトだが、高いレベルの街)に持ち、
住むのは自然のたっぷりある所、という。おかげでドルナッハとアーレスハイム
(Weleda社などのある村)の駅の近くにも、 Migrosというスイス最大のスーパーができてしまった。
さすがゲ−テアヌム周辺には Kellerなどの自然食料品、とくにシュタイナ−の
バイオダイナミック農法でできた野菜、果物、穀類などを扱っている店がある。
ほとんどのアントロポゾフィーたちはこういうものを求める。歯ブラシだって豚毛で
できているものとか、練り歯磨きもWELEDA社の材料はバイオダイナミック農法でできたもの。
化粧品、石鹸なども。塩、小麦粉、香辛料、お茶なども。とてもこだわって生活している人々が多いのです。


どんな時代だったか


私が留学した時、日本人はシュプラッへを勉強していた川手鷹彦さん、オイリュトミーを
勉強していた横山守文さんと、教育学部の私だけでした。その後日本からの旅人が大勢
やって来ては去っていくというようすですが、今はどう言うわけかオイリュトミー学校には
大勢の日本人が学んでいます。西川隆範さんは一年だけ滞在していらしゃいました。
一度だけ守文さんと一緒におじゃましてお昼をごちそうになったことがあります。
壁にシュタイナーの写真が貼ってありびっくりしました。またここに来るため必死で
ありとあらゆるアルバイトをしてお金を作った話、西川さん自身が僧りょだと言う事にも
驚きました。ちなみに守文さんは一生使えるパスポートを貰える?時代に日本を出て
ヒッピーの様(だった?)に世界を放浪学んだ方で、色々な国でのお話を伺いました。川手さんにも
4年間で2ー3回しか出くわしませんでしたが、日本に帰って来る際、台所用品をお譲りしました。
オイリュトミーで学んでいた時は、ものすごく大変でした。さまざまな分野からオイリュトミーを
学びにきた人達、自我が強い人々ばかりで辛かった。私は幸いクリスト−フ グラ−フ先生
が担任で、いま世界でもっとも注目されているオイリュトミスト そして私の友人の
レオナルド オルタ先生と横山守文さんと同じクラスでした。レオナルドはたしか18才という
若さでした。年令も18才から50才以上のかたがいる人間的成長を修行するのには
荒療法と言う感じでした。3年めに教育の方に移ったわけです。レ−ラ−ゼミナールの
ことはまた別に書きましょう。
私は、あと一ヶ月で30才という年令で留学しましたし、少しの貯えもあったので
その頃学生達が住んでいた、民家の地下室とかにトイレも台所も、共同というのはすでに
最初の大学生活でしていたので、今度はもっと快適な生活にしようと思い、始めは
ミュンヘンシュタインというところの、マイヤ−さん宅の三階に住み、その後バーゼル
町中のシュツエンマットシュトラ−セにあるワンルームアパートに移り、そこから
ドルナッハまで通いました。毎日朝は星を眺めながら家を出て、暗くなって家に戻るという
生活でした。夏時間には11時頃まで明るかったけれども。冬は毛皮とスノウブーツまたは
スパイクシューズが必要でした。


自由大学?


ゲーテアヌムはバーゼルに住んでいる人々にとっても。不思議なところとされ、いまでも
あそこが大学?と思っている方々も多いのです。なぜなら、ドイツ語圏のひとびとにとって
大学とは誰でも行って学ぶところではないし、ましてなにか博士になろうという人しか
行かないと思っている、さらにまだまだ宣伝もしていなく、ひっそりとアントロポゾフィー
たちが集っているところだったのです。
私が行った時、ほとんどの学生たちは貧しいし、昔のままの暮らしをしているお年寄り
たちの様にズルズルと長いスカートを引き摺り、暗−い色の服をまといそれはそれは、
大変な所にきたなという感じでした。 私はカラフルで上品な服そうが好きでしたから
とても困りました。
ときどきそんないでたちの私をみて、アントロポゾフィーらしくないと思われるようですが、
世界的リーダーのオイリュトミストであリ、私のオイリュトミーの師でもある、
クリストーフ グラーフ先生はことある毎に”皆、雅子を見習え、こうでなくてはいけない,
ドクターシュタイナ−だって一人ひとり個性の有る様にと、言っている。”と話ていました。
ゲーテアヌム精神科学自由大学も、とても殺風景でパンフレットもとても簡単なものでした。
このへんはまだ余り改善されていませんが、公衆電話などもあちこちの建物に設置され
(これはひょっとするとスイステレコムがやっと1990年頃から活発になったという
ことかも知れない)ゲーテアヌム内のトイレが新しくなったのを始めとして(改装前でも
素敵でしたのに、当時の写真もあります。)、大工事が国の援助や人々の寄付でなされ、
1998年にはすっかりゲーテアヌムは新しくなりました。(ものすごい大工事で幾つかの
設備やホールが改善された)
1994年の建築会議では、私はちょうど工事中だった35 mの高さのゲーテアヌムの屋根に
無謀にも登り、いろいろと作業の仕方とか、風景とか見せていただきました。
工事の方々は私がトレードマークのハイヒ−ルで登ったのでびっくりしていました。
登ったのはほんの4、5人で、女性は私だけ、もちろん日本人では私だけです。
(かなり自信を持って自慢している。といっても初めてここに記すわけですが)。
屋根は小さな10cm x 20cmサイズの石スレ−トを用い要所要所には、あか つまり銅で
板金して有りました。ゲーテアヌムの外壁は7cmの厚さで見た感じより薄いのです。